コラム #020
果樹&ピース
~【前編】美味しい果物を届けるために、自分らしく働くレゲエ農家の軌跡~
さくらんぼの最盛期が近づいてきた初夏、山形県東根市にある「農業生産法人 株式会社松栗」を訪れました。
2013年に同社を起ち上げた代表取締役の植松真二さんは、“美味しい果物で笑顔を世界中に…”をコンセプトに、剪定や土壌づくり、農薬に頼らないといった果樹栽培を実践。通称「レゲエ農家」とも呼ばれており、レゲエミュージックの精神やファッションをこよなく愛しています。
今回、なぜPARASUKUが松栗さんへ取材に訪れたかというと、全国からワーカーが集う一風変わった農園だという話を聞きつけたから。
いったい、何が多くの働き手を惹きつけるのか。まずは、代表の植松さんのこれまでのストーリーをお聞きすることからスタートしました。
全3回にわたって、(1)植松さんへのインタビュー前編(2)後編、そして(3)実際に働きに来ているワーカーさんへのインタビューをお届けします。
ダサい自分
農家になる前、20代前半に、がむしゃらに働いたんです。お金が必要だったということもあって、色んな仕事を掛け持ちしていました。貯金も貯まって、いざ人生の次のステージに進むと思っていたんですけど、ここで大きな躓きにあってしまいました。
割とポジティブな方ではありますが、その時は、ものすごいダメージを受けてしまって、人生について思い悩むようになったんです。それで一念発起して、人生観を変えたいと思い、当時テレビで流行っていたヒッチハイクで世界を回るようなことをやろうと、知人が赴任していたフィリピンに飛び込みました。
迎え入れてくれた知人も、自分の事情をわかってくれていたので、観光地とかリゾートとかではなく、スラム街に案内してくれたんです。生でみるスラム街は想像していた以上に過酷な場所で圧倒されましたね。
饐えた臭いが鼻をつくような不衛生な環境で、木と木の間にブルーシートを張っただけのところに十何人もの人が住んでいたり、栄養失調体型の子供たちがたくさんいれば、飢えをしのぐために油が浮いた泥水をすすっている子供もいました。さらに、知人の話では、戸籍もない子供がいたり、未だに人身売買の噂が絶えなかったりと、もうそれこそ、ハンマーで頭をガツーンと殴られたみたいに大きな衝撃を受けたんです。
自分の悩みって、なんて小さいんだ。何が世界を回って人生観を変えようだ。なんて甘い考えだったんだって、めちゃめちゃ自分がダサいって痛感しました。
自分は、あの子達の為に何かやれることはないのか。でも、すぐにはできないし、やり方もわからない。寄付や慈善活動という手もあるけれど、そうじゃないなよなって色々と考えて。とにかく居ても立ってもいられず、ヒッチハイクの旅なんて止めて、すぐに日本に戻って仕事を始めました。
本当の美味しいを伝えるチャレンジ
スラム街での経験から約10年後に、農業法人松栗を立ち上げ、本格的に農業に参加することになりました。元々、実家が農業をやっていたんですが、0(ゼロ)から自分がやりたいことを実践したいという思いから、両親とは別で果樹栽培を始めました。
初めてこの世界に入った時に驚いたんですが、さくらんぼの栽培方法って30年も昔のやり方をずっと続けていて、アップデートされていなかったんです。自分が理想とする美味しいさくらんぼを作るには、今のままでは足りないと考えていたので、新しい栽培方法を実践している人を探して勉強しにいきました。
その方法を簡単にいうと、余分な枝を剪定して、養分たっぷりの粒を作るというものです。養分が豊富な分、大きくて甘みが強いさくらんぼができるわけです。この方法ならば良質なさくらんぼを作れるのですが、手間暇がかかる分、価格が上がってしまって、売れにくくなってしまうというデメリットもあります。また、剪定するということは、全体の収穫量が減ってしまいます。あまり美味しくなくても、安価なものを大量に作った方がお金になるのが現実にあって、生活のために妥協せざるを得ない農家はたくさんいます。
新しいことにチャレンジするというと聞こえはいいですけど、成功する保証がないことと同じですから、失敗したことのリスクを考えると、結果が見えている昔ながらの方法で作った方が安定した収入が得られます。同じ師に仰いだ人でも、子供の進学を機に、従来の収穫量が多い方法に戻した人もいました。
私の場合、初めてさくらんぼを食べる人が美味しくないものに出会ってしまったら……と考えてしまうんです。きっと、その人は、その後の人生で、自ら進んでさくらんぼは食べないですよね。さくらんぼを食べないでいる人生と、美味しいさくらんぼを知って毎年楽しみにする人生では、豊かさが違うだろうと思うんです。
多くの人に、豊かな人生を送ってもらいたいと考えると、たとえ手間暇が掛かって大した収入にならなくても、こだわりを持って美味しいさくらんぼを作らなくちゃいけないんだって燃えるんですよ。それが、スラム街で出会った子供たちに対する答えのようでもある気がするんです。
生命を育てる
農業なら野菜という手もあるんですが、野菜は収穫と同時に刈り取ってしまって、そこで一旦終わってしまうんです。でも、果樹は収穫後も木は残り続けるところに魅力があると思っています。毎年収穫して、樹齢を重ねていくところに生命感を感じられ、そこに果樹栽培の醍醐味があると思います。
果樹も人間と同じで、自然の中で生きているわけですから、喉が渇きますし、お腹も減ります。ただ、地面に根を張って動けないから、私達が水をやり、栄養をあげなくてはいけないんです。もう、手間がすごくかかるんですけど、それが愛おしいというか、子育てと同じですね。だから、果樹は家族のような存在になっていくんです。
じゃあ、子供にどんなものを与えたいかと思うわけです。虫害を恐れて農薬を撒く農法もありますけど、それだと土の中にいる良い微生物や善玉菌をも殺してしまうんです。本来は、悪玉菌が発生した時に、そういった土にいる微生物や善玉菌が退治してくれるのですが、農薬を使うと微生物も善玉菌も殺してしまっているわけです。そうすると、悪玉菌を殺すために、また農薬を使わざる負えなくなり、その繰り返しで、結果、果樹が農薬漬けになってしまいます。
自分の子供に置き換えた時、子供を薬漬けにして育てたいかという考えに至るんです。その子供が、自然の中で養うべきだった力を薬で矯正するようなことですから、本来持っている、その子の生きていく力を奪うことになるんです。そう考えると、やっぱり嫌ですよね。
私が大事にしているのは自然の力で、大切なことは自然との共存なんです。悪玉菌が発生した時に、微生物や善玉菌が助けてくれるよう、バランスがとれるよう手助けをしている感じでしょうか。果樹を家族の一員と思うからこそです。
樹を受け継ぐ
果樹は手間がかかります。同じ作物でも、人間と同じで一本一本違うものだから、世話の仕方もそれぞれに合わせなくちゃいけないんで、ものすごく労力が掛かります。めちゃめちゃ忙しいんですけど、だからこそ愛着が湧きます。スタッフも、自分が入社した時に植えた苗木がどんどん成長してくのを見て、愛着が湧いて、もう家族と思っていますよ。
ある時、作業をしていたら隣の畑からチェーンソーの音が聞こえてきたんです。何事かなと様子を見に行ったら、隣の爺ちゃんの畑に業者の人が集まっていて、今にもさくらんぼの木を伐ろうというところだったんです。そこの爺ちゃんも、90歳ぐらいだったから、自分で管理することもできなくなってしまっていたし、60代の息子さんも足腰が悪くて、とても農業ができないということで畑を手放すことに決めたということでした。
立派な木なのに、世話する人がいないだけで伐られるのは勿体無いって思って、業者の人に出張料は払うから中止してくれって頼んだんです。それで、爺ちゃんに、自分が代わりに世話するから畑を引き取らせてくれってお願いしたんですよ。その時は、まだまだ自分の農園も小さかったし、少しでも収入源が増えればいいなっていう軽い気持ちで言ったんですけど、爺ちゃんが泣きながら感謝してくれて、「ありがとうございます」って頭を下げられたもんだから、ものすごく驚いたんです。
それで、「ああ、そうか、本当は伐りたくなかったんだ」ってわかったんです。そりゃそうですよね、だって果樹は家族なんですから、伐るってことは家族を捨てるようなことですものね。
担い手不足などで、この辺りも農家を辞める人が増えています。さすがに全てとまではいきませんが、私が担えるものならばと引き取っている果樹があり、それで農地が段々と広がってきているところです。それには、事業を拡大するという意味もありますが、それ以上に、みんなが守ってきた色々なものを、自分が守ってもいいんじゃないかという気持ちがあります。
別の人が、50年も、60年も守ってきたもので、自分の手の届く場所にあって守れるものならば、手を差し伸べるべきなんじゃないかなと思うんです。きっと、ボブ・マーリーだったら、そうしただろうなって思うんですよね。(後編へ続く)
○植松さんへのインタビュー後編はこちら
○松栗で働くワーカーさんへのインタビューはこちら
○株式会社松栗オフィシャルサイトはこちら
(文:池田将友)