コラム #021
果樹&ピース
~【後編】美味しい果物を届けるために、自分らしく働くレゲエ農家の軌跡~
さくらんぼの最盛期が近づいてきた初夏、山形県東根市にある「農業生産法人 株式会社松栗」を訪れました。
2013年に同社を起ち上げた代表取締役の植松真二さんは、“美味しい果物で笑顔を世界中に…”をコンセプトに、剪定や土壌づくり、農薬に頼らないといった果樹栽培を実践。通称「レゲエ農家」とも呼ばれており、レゲエミュージックの精神やファッションをこよなく愛しています。
今回、なぜPARASUKUが松栗さんへ取材に訪れたかというと、全国からワーカーが集う一風変わった農園だという話を聞きつけたから。
いったい、何が多くの働き手を惹きつけるのか。まずは、代表の植松さんのこれまでのストーリーをお聞きすることからスタートしました。
全3回にわたって、(1)植松さんへのインタビュー前編(2)後編、そして(3)実際に働きに来ているワーカーさんへのインタビューをお届けします。
(株式会社松栗 代表取締役 植松真二さん)
0から始めることで見えること
我が家は、祖父母の代から続く農家で、父親が跡を継いでいました。一般的には、その後を私が継ぐのが順当ですけれど、0から始めたいという思いから父親とは別で会社を立ち上げています。理由として、自分がやりたい栽培方法を試したいという部分で、きっと父親とぶつかるだろうなと思ったんです。私自身、とても頑固なんですけど、父親も同じぐらい頑固ですからね。
農業を始めるようになってから、ようやく祖父母が話していた昔の苦労話の意味がわかってきました。こうして同じ土俵に立ってみると、物凄いことをやってきた人たちだと思うことが多々あります。
例えば、当時は車がなかったので荷物を運ぶのに馬を使っていたそうです。馬に荷物を乗せて、片道3時間ぐらいかけて出掛けていたというから驚きですよね。途中、川があるから馬ごと舟に乗せて渡ったり、帰りは真っ暗な道を、また3時間ぐらいかけて帰ってきていたと。それで、次の日の仕事の準備をして、翌朝早朝に出掛けていたらしく、一体、いつ寝ていたのかと思うぐらい、本当にすごいことを続けていたんだと思います。
たまに草刈りをしていると、轍のところに石塚があって邪魔だなと思うことがあるんです。でも、よくよく考えてみると、それって、昔の人達が手作業で開墾した名残なんです。今みたいに耕運機なんてなかった時代に、手作業で土を耕して、手作業で石を拾って、それを積んだものなんでしょうけど、大きな石が何個もあるので、かなりの重労働だったろうなと想像がつきます。
そういう風に思えるようになったら、もうリスペクトしかないですよね。さすがに、今の時代では、手作業とまではいきませんが、自分も0から農業を始めてみると、その苦労がどれだけのものだったかよくわかります。
農業は甘くない
農業は、資格を必要としませんし学歴も関係ないので、誰にでもできる仕事です。ですが、だからといって決して甘い仕事ではありません。生きているものを扱うわけですから、一時も、気を緩めることはできません。それに、表現は良くないかも知れませんが、さくらんぼの収穫時期なんかは戦争って感じるぐらい、皆ピリピリしていますし、次々にやることがあります。
仕事をする上で、うちはブラックだよと伝えます(笑)。もちろん冗談半分ではありますけど、仕事ができていない時は叱るからねと、面接の時に伝えています。大切なことは、怒っているんじゃなくて、あなたのことを思って叱っているんだということで、一番怖いのは無視され見捨てられることだよと理解をしてもらえるよう、厳しくする時は、厳しくします。
叱る方だって好きで叱っているわけじゃなくて、相当のエネルギーを使っているわけです。それぐらい真剣に、あなたの今や将来を考えているんだよということを考えて欲しいとは伝えています。
厳しい言い方をしてしまいましたが、仕事にはメリハリが大事だと思っています。ゆるっと、だらだら仕事をしていたら何も起こらないし、何も生まれないと思います。大変だからこそ考えますし、真剣にやるからこそ一体感や絆が生まれるのだと思うんです。日中、ビシビシと働いて、休憩や夕方に一緒にご飯を食べて語り合ったりすることで、仲間意識が芽生え、翌日は更に効率がよくなり、仕事が捗ったりしている光景を何度も見てきました。
私は、うちを選んでくれた以上、(収入以外の)何かを得て欲しいなと思っているんです。だからこそ、私も真剣に向き合います。嬉しいことに、毎年、さくらんぼの収穫時期になると働きに来てくれる人がいるんです。福井とか、九州とか、遠くから来てくれるんですが、よくよく考えてみると、交通費は高いし、しかも、最終日にさくらんぼを買って帰るから、アルバイト代よりも支払っていると思うんですけど、みなさん「じゃあ、また来年ね」って、すごく爽やかなんです。
最初は、私の考えに賛同してくれて、興味本位で来てくれた方たちなんでしょうけど、ここで働いたことで生まれた絆や、真剣に取り組むからこそ得られる達成感が、リピートに繋がっているのかな。なんて、偉そうですけど、きっと人生にプラスになる、何かを得てくれたんだろうって嬉しく思います。
目線の共有
私にとって、農業は仕事って感じがしないんですよね。好きなことをやらせてもらっているからか、自分で決めたことを実践できるからか、理由はいろいろあると思うんですけれど、一番は生活のために仕方なくやらなくてはいけないという感じがないからでしょうか。目指すものがあって、それをやらせてもらっていることに喜びしかないです。
ドライブ中に、ふと視界に入った畑なんて、何気なく過ごしていると見落としてしまうことじゃないですか。気になるってことは、農業に携わっていて、当事者になっているからこそ気づけることなんだと思うんです。頭の何処かで、良い作物を作りたいってずっと考えているから、そういう視点になっているんだと思います。
私は、常にそういった意識を持っているので目に付くんですけど、いつの間にかスタッフも同じ目線になっていたんだと思うと、皆で同じ方向を向いて仕事をしているんだなって、本当に嬉しく思います。そういったスタッフの成長を感じると、自分もまだまだ学ばなきゃいけないって気が引き締まりますね。
スタッフの意識が高まっているのは、頑張っていることが報われている実感があるからだと思っています。以前、通販でうちのさくらんぼを食べてくれた東京の方が、わざわざ(東根市まで)訪ねてきてくれたことがあるんです。とても美味しかったから、どんな人が作っているのか会ってみたかったということで来てくれたんですけど、まぁ、私がこんな風貌なんで驚かれてましたね(笑)。でも、その方は、今までのさくらんぼの概念が変わったって、すごく感謝をしてくれて、また、さくらんぼを買って帰られたんです。そういうことはスタッフも見ていて、自分たちが作ったさくらんぼを、こんなにも喜んでくれる人がいるんだってことが、自信に繋がっているのだと思います。
小さなことが広がっていくことを信じて
自分がやっていることが、この世界にとって何の影響もないかもしれないと思うこともあります。やっていることなんて、ほんの些細な小さなことだなって感じることもあります。でも、小さくても、実践することが大切なんじゃないかって、いつもそう考えて行動しています。
フィリピンのスラム街の現状を見た時に感じた不条理や、日本社会が抱えている問題って、とてつもなく分厚いコンクリートの壁みたいなものだなって思うんです。覆そうと思っても、ちょっとやそっとじゃビクともしなくて、自分がやっていることでは、せいぜい小さなひびを作るぐらいだろうって思うんです。
きっと自分の力だけじゃ、その分厚いコンクリートの壁は壊せない。だけど、自分が作ったひびに追随する人が、一人、二人と増えてきたら、ひびが段々と大きくなって、いつか壁が崩れる時が来るだろうと思うんです。自分が生きている内では達成できなくても、次の誰かが続いてくれるのだと希望を持ち、今は自分が信じられる精一杯のことをやり続けています。
何かをしようとすると影響が現れるのはレゲエも同じで、南米から始まった音楽が世界に広がっていったのは、小さくてもことを起こしたからだと思うんです。
最初は小さなことだけど、それが徐々に広がって、いつかスラム街で見た子供たちに届くよう、美味しい果物で、笑顔を世界中に広めていきたいと思っています。
○植松さんへのインタビュー前編はこちら
○松栗で働くワーカーさんへのインタビューはこちら
○株式会社松栗オフィシャルサイトはこちら
(文:池田将友)